玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*仏教文学

2019年02月04日 | 捨て猫の独り言

 昨年の少年少女囲碁大会の小学生名人は沖縄県の小学3年生の川畑拓也君だった。そして年明け早々に話題になったのは4月1日付けで、10歳0カ月でのプロ棋士になる仲邑菫さんである。昨年末に新設した「英才特別採用」の第1号だ。これらのニュースで、囲碁とは「陣とりゲーム」だということを強く感じた。ゲームの楽しさを知るのに思考の深さとか、さまざまな人生経験が必要なのではない。ルールを素直に受け入れる柔軟な吸収力があればよい。(浅草寺にて)

 

 公民館で開かれる親鸞講座の講師から「昨年、会場にて、すてきな出会いを頂き、心より感激、感謝申し上げます。”うれしさを昔はそでにつつみけり 今宵は身にも余りぬるかな” 聞く一つで、心の闇が晴れて、明るく楽しい心になれると聖人は説かれています」という賀状が届いた。毎月4回ほどの開催日の案内ハガキが届く。月に1回は参加しようと考える。参加者は10名に満たないが、何よりも講師が大きな声で話されるので私でも聞き取れるのである。

 図書館で借りた「朗読版 仏教文学名作選」2011年発行というCD6枚組を聞いた。仏教文学とは聞き慣れない言葉だ。15名の作家の作品を朗読で聞く。芥川龍之介「蜘蛛の糸」、菊池寛「恩讐の彼方に」、宮沢賢治「よだかの星」、森鴎外「山椒大夫」、夏目漱石「夢十夜」にはなじみがあった。堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」は異質で、妻と共に春の大和路を浄瑠璃時から東大寺へと散策する随想である。かつて中学生の修学旅行引率として訪れた時の浄瑠璃寺の光景がよみがえった。

 他には田山花袋、坂口安吾、中島敦、小泉八雲、泉鏡花、岡本かのこ、尾崎紅葉、太宰治、幸田露伴だ。まもなくして、集英社の「信ずる心」シリーズの花岡大学著「仏教文学」(1987年発行)を読んだ。日本霊異記、今昔物語、西行、良寛、加賀の千代尼、一茶などに言及し、芥川の「蜘蛛の糸」と宮沢賢治の「なめとこやまの熊」について分析している。この本の中で、梅原猛が「宮沢賢治は近代作家の中で一番不可解な作家」と述べたことを紹介している。 

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