岩手はかなり以前に小岩井農場に立ち寄ったことがあるくらいで、よく知らない。花巻の観光は「宮沢賢治の世界」に集約されている。東北新幹線・新花巻駅すぐの賢治記念館をスタートして、レストラン・山猫軒、ポランの広場、喫茶・イーハトーブ館、蕎麦・なめとこ山庵、賢治童話村とめぐる5時間コースなどがある。また土日には2014年に復活した釜石線のSL銀河が運行されている。土地の人々は尊敬の念を込めて「賢治さん」と呼ぶという。
家族の中で賢治に影響を与えたのは父と妹トシだ。父は家業の質、古着商を継がせるつもりだった。しかし進学の希望も、家業の拒否も、農村運動の実践も大体において賢治は自分の思うとおりに行動した。そして経済的基礎はほとんど父の援助を受け続けた。真宗を信仰していた父に日蓮宗への改宗を熱望したが容れられず上京し、自活自炊しながら大乗仏教を拡めようと創作に熱中する。しかし妹トシの病気の報に短期間で帰郷して稗貫農学校の教師となる。
生涯娶らなかった賢治にとって、彼のもっとも愛した女性は二歳年下の妹トシではなかったか。彼女は花巻高女から日本女子大を卒業し、帰郷して母校の英語教師として在職中に結核になり臥床一年で歿した。トシは家庭内で打てば響くように賢治のいうことを理解し、かれの日蓮宗信仰を肯定し、かれの歌稿や童話を整理したりする文学的な理解者だった。それだけに妹トシの死に深刻な衝撃を受ける。このあたりのことについて、吉本隆明はつぎのように解読する。
賢治は妹の死を契機に、それまで獲得していた知識のすべてをあげてかれなりの死後の世界の在り方を構成しようと試みた。それが詩「青森挽歌」であり、そのあとこれ以上の死後世界の探求はほとんどなされなかった。賢治が死のまぎわまで手入れし、未完に終わった童話「銀河鉄道の夜」の底を流れているのは「青森挽歌」で追尋したし死後の世界である。客車に乗って旅するのは、賢治のかくありたいという願望の象徴であるように設定されているジョバンニだ。〈子供〉は決して死後の世界を構想したり、想起したりはしないが〈橋〉の向こう側にあるきらびやかな世界の〈夢〉をみることはたれでも体験している。