戦間期のワシントン海軍軍縮条約(1922年)で戦艦の保有制限の受諾を決めた加藤友三郎海相(後に首相)は「国防は軍人の専有物にあらず」「国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず」と本国に伝えた。だが日本は1933年の国際連盟の脱退に続き、翌年に海軍軍縮条約からも離脱した。
欧州でナチスドイツと英仏が衝突した1939年9月には帝国陸軍内部に「戦争経済研究班」(秋丸機関)が設置され、「経済戦力の比は20対1程度と判断するが、開戦後2年間は貯備戦力によって抗戦可能、それ以後は我が経済戦力は下降をたどり持久戦には耐えがたい」との報告書をまとめている。40年9月には近衛内閣が「総力戦研究所」を設置した。だがこちらも41年8月対米戦争は「必敗」と報告した。
安全保障にDIMEという言葉がある。外交(D)、情報(I)、軍事(M)、経済(E)の頭文字を取ったものだ。軍事だけでは国の安全が担保できない。DIMEを統合して国の安保を確保するという考え方だ。日本政府もDIME をかかげてはいるが「軍事」に重きが置かれ、政府一体の「総合的な国力」の底上げを図ろうとする意識は薄いようだ。
日本は人口減社会に突入して、持たざる国に逆戻りだ。戦前はほとんどなかった社会保険料を含めた国民の負担は大幅に高まっている。安全保障環境の変化に応じて、防衛費を増やす選択肢はあるだろう。しかし、戦間期~開戦前にも指摘されていたように、国力に照らして無理のない計画か否かが問われる。世界で類をみないほどの財政状況のなか、借金頼みの防衛費増額に持続性があるのか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます