年末になると父が作ってくれたおせち料理を思い出す。
調理師(板前)だった父は年末になると卵をダンボール箱ごと1箱買ってきて美味しい出し巻きを何時間もかかって何本も作っていた。私は傍で卵を大きなボールに割る役だったが、ちゃんと白味を切って殻を捨てないとダメだとよく言われた。できた出し巻きは巻き簾にまき、ひもでくくり仕切った板に並べた。一本の出し巻きに10個の卵を使うのだから大きな卵焼き器で正月用のガスコンロに取り替えての作業だった。出来た卵は何軒もの知り合いに他のおせちと一緒に配って歩いた。
他にも堀川ごぼうや人参、えび芋の真ん中をくり貫いてミンチを詰めたものや、さわらの味噌ずけ、ぶりの焼き物、栗は形よくすじめをいれ、綺麗にむいて、くちなしの実をいれ黄色に色づけし甘く炊いた。、菊花かぶら、そして黒豆、一番のメーンの棒だらは大きな鍋に2日以上かかってやわらかく美味しく炊き上げてくれた。
年とともにその品数は減って(転居して配れなくなったのもあるが)それでも亡くなる年の前年の年末まで頑張って作ってくれた。
胃癌が再発しすっかりやせて体力がなくなってきた父はさすがに、大きくて重い出し巻きの焼き器は持てなくて、黒豆と棒だらは寝床から私に指示して作った。時に杖をついて台所にやってきて味を確認していた姿が忘れられない。
そんな父も殆ど作ったお節は食べられず、お正月に緊急入院し2月初めに帰らぬ人となってしまった。
私はその後、「ちゃんと覚えときや」といっていた父のおせち料理のレシピを見ながら、毎年ぼうだらと黒豆は作っているが、何回作っても父のその味には、遠く届かない。そしてお内仏にむかって出来たおせちを供えながら「おじいちゃん味みてや。今年もまた堅いぼだらになってしもうたわ・・」と話しかける。
孫達はおじいちゃんの出し巻きや栗きんとん、棒だら、黒豆の味が忘れられず、お正月がくると「おじいちゃんのは最高やったなあ」と話す。
元気で働いていた頃の父。