忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

生きる意味は?

2011-09-24 | 生き方を学ぶ

浜大津近くのびわ湖

引っ越していった友人から電話があり京都で待ち合わせして久し振りに出会った。乳癌の手術を12月に受け現在も抗がん剤治療を受けている彼女は滋賀県までは以前のように気軽に来られなくなった自身の体の事を嘆いておられてたが、見た感じは太って元気そうに見えた。

京都駅は人出が多くなかなかお互いに見つからず往生したが、久し振りに出会った彼女は抗がん剤の副作用でだいぶ浮腫んでいるし、「見て、頭の毛はやっとこれだけ生えてきたんよ。」と帽子をとって見せてくれた。

昔ならもうとっくに死んでいる年齢なのにこうして生きていると病気になってこんな苦しい事になるなんてね・・・と。

手術前の抗がん剤治療であまりの苦しさに「なんで生きているの?」と見舞いに行った時私に尋ねた。

又、日頃は明るくて積極的な88歳のご婦人は、家で一人になったとき体の調子が良くないときに「人間って死に向かって生きているのやなあ・・・何のために生きているのやろ?」と思うと話しておられた。

何のために生きているのかなどと今 考えることは震災で亡くなられた多くの人達の事を思う時、自分勝手な思いかもしれない。 でも人間はやはり老いや病が自分に降りかかってきた時にやがて避けて通れぬ死を意識せざるを得なくなるのだろう。

私自身も2回の手術を受けた時迫りくる死をしばしば考えたことがあり、その都度心の中でお念仏を唱え何とか心を平静にもっていこうとしていたが、煩悩まみれの自分しかそこにいなかった。 それでもこの答えを仏教の中に尋ねて生きていくことが自分の生きるすべてだと思っている。