今日3月11日は東日本大震災から四年目の日である。そして私が大腸癌手術を2度にわたり受け退院してから4年と10日ばかり過ぎた日を迎える。
忘れようにも忘れられないこの日であるが、決して忘れてはならないと思っている。
私のお腹の傷跡はものの見事にきれいになってはいるが、2度切った部分の跡はまだ赤く残っていて時々痛んだり痒かったりする。
一方、震災の傷跡は深く生活再建の道は遠いと言われている。
避難者22万9000人 うち原発の影響が続く福島県の避難者が半数の12万人。
亡くなった人1万5823人 今だ行方不明の方2586人。
数字の中の一人ひとり、そしてその周りにいる関係者の人たちの数をいれればどれだけの人数になるだろうか? その数の嘆き、苦しみの深さはいかばかりだろうかと思う。
新聞に震災から4年 急速に進む忘却の中で 「痛み分かち合えぬ社会」という見出しで木村友祐という作家の記事を目にした。
「前略~本当にこの国は、震災によるおびただしい不慮の死を悼んだのだろうか。原発の安全神話がもたらした結果を取り返しのつかなさを、本当に受け止めたのだろうか、と。 もし、震災の痛みをわがこととしてうけとめたなら、復興のための資材も職人も奪い合うことが予想される東京オリンピックなど誘致しなかったはずだ。原発事故の厳密な検証も済んでもいないのに、予測不可能なことが多い原発を再稼動させようとは思わなかったはずだ。つまり誰かの犠牲の上に成り立った自分達の暮らしを、根本から見直したはずだ。~後略」
出来れば辛いことや悲惨なことは早く忘れたいという気持ちが人間の中にはあるのも事実だが、それでもそれを忘れず世の人々に伝えることこそが後に続く人たちへの教訓にもなるということも忘れてはいけないことだと思う。
あまりにも悲惨だからという理由で原爆のことを描いた漫画「はだしのゲン」が図書館に置かれなくなった地域があると聞いたことがあるが、果たしてそれが正しいのか疑問に思えてならない。
道は遠く険しいけれど、避難されている方たちを現地で励まし元気付けている大勢の人たち又、原発事故の処理で一生懸命働いておられる多くの方たち。現地に行けなくても毎日一日も早い復興をという祈りを捧げている多くの人たちの想いに励まされつつ、どうか心を出来るだけ明るく持って生きていって欲しいと願っている。