忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

川柳で侵略戦争と闘った若者、鶴彬

2015-08-15 | 世の中のこと

       鶴彬(つるあきら)

川柳で今も強烈に心に残っているいる句がある。田辺聖子さんの「川柳でんでん太鼓」で紹介されていた鶴彬の句だ。

 手と足をもいだ丸太にしてかへし」

鶴彬は柳名であり、本名を喜多一二(きたかつじ)という。

 万歳とあげて行った手を大陸において来た」

 「胎内の動きを知るころ骨(コツ)がつき」

 どの句も心に強く響き戦争の悲惨さを訴えかけてくる。

川柳を武器に侵略戦争へ向かう時代と徹底して闘ったこの若者のことはそれほど知られていない。 鶴彬は、1937年12月『川柳人』弾圧事件の主要人物の一人として治安維持法違反で逮捕され留置場で赤痢にかかり1938年9月病院に移送された後わずか29歳で亡くなった。

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