忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

びわこ花火大会 2019

2019-08-10 | 動画

 

びわこ花火大会の花火ももう何回見たでしょうか。父が生きていた頃、親戚の子供たちも一緒に見に行った時は初めて見る大きな迫力ある花火に驚き、人の多さにもびっくりした。

帰りの電車の中で父は財布をすられたのですが、それほど帰りの人も多かった。

父が入院している時は市民病院の屋上にある駐車場からみた。

又、勤め先の帰りに電車の中からみた花火、図書館のある山の上から遠くに見える花火、

大腸手術後に車で見に連れて行ってもらい車の中からみた花火、友人からもらった観覧席で孫と見た花火、そして数年前、娘が買ってくれた観覧席で友人と見た花火は圧巻だった。

大きな花火の中に吸い込まれるような錯覚さえ覚え、思わず拍手の嵐、観ている人たちと心が一つになった瞬間だと感じさせた。

さて、今年はこの暑さに見に行く元気もなくテレビで観ていた。

今朝 早く琵琶湖近くに住む友人からラインの動画で送ってきてくれた花火を見て再び感動!花火好きの友人や姉に早速転送した。

 

コメント (2)

弘田三枝子の「人形の家」の歌に込められた思い

2019-08-10 | 動画

昨夜 偶然みたテレビ(「昭和は輝いていた」)で満州開拓民として満州で暮らし、敗戦により必死の思いで帰還した芸能人の話をしていた。宝田 明さん加藤登紀子さんが出演していた。

話の中で、なかにし礼さんが作詞された広田三枝子の「人形の家」という歌が終戦により満州から逃れてきたときの心情を歌ったものだということを知り驚いた。

番組では当時の満州の様子が映し出されていたりして、150万人が満州開拓民として渡り、敗戦の時は軍から捨てられた話などを宝田さんも語っていた。

この歌は知っていたが、まさかこの様な意味が込められていたとは知らず、何となく悲しい歌だなぁと思っていたくらいだった。

貴重な話と映像を途中からだったが録画した。

他にも戦争時や終戦直後の歌が数々歌われていた。歌そのものは知っているものもあったが、その内容をあらためて知り、考えさせられた。

戦争発言をした若い議員いまだに責任をとることなく国会議員として在ることに憤りを感じるが、それを擁護する人たちもいることに驚く。この人たちにこの内容の番組を見てもらいたいと思うが果たして戦争の悲惨さ惨さが通じるだろうか?

 弘田三枝子 - 人形の家 

 

満州からの引き上げ船のことを歌った「かえり船」

かえり船/田端 義夫

コメント

夏になるとやっぱり母が漬けていた茄子のお漬物

2019-08-10 | 昔語り

夏になるとやっぱり母が漬けていた茄子のお漬物を思い出す。

以前にもブログに書いていたが、紫色に光った茄子とあの味は忘れない。

今年も冷蔵庫で保管できるぬか漬けの素を買って漬けてみた。

まぁ・・その美味しいこと!

毎朝のパン食をお茶漬けにした。

漬かったおナスときゅうり、薄く切った大根、人参 鮭のほぐしたの、友人が持って来てくれた塩昆布、入り卵、など等

暑い朝、口当たりもよくとても美味しかった!

録画していた映画「お茶漬けの味」で、佐分利 信と木暮美千代が夫婦でお茶漬けを美味しそうに食べている場面を思い出していた。

コメント