忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

先生また会いましょう

2010-05-21 | 昔語り

中学時代の恩師が入所されていたグループホームに電話してみた。京都から滋賀のホームに入所されたのが5年ほど前だったと思う。それから、何回か尋ね一緒に出かけたりしていたが、昨年、秋くらいから体調をくずされ今年に入り病院に入院されたと聞いていた。

心配していたが、昨日ホームに電話したら2月に亡くなったと聞いた。何となくいやな予感がして電話しそびれていたのだが・・・・もう一度病院にお見舞いに行けばよかったと悔やまれる。

それにしてもおまいりに行きたくても、住んでおられた京都の家は奥様もすでに亡くなられ、(先生はそれも知られなかったが)連絡不可能だし、子供さんの家もわからない。最近は個人情報でなかなか教えてもらえない。何ともやりきれない気持ちになった。

50年以上前になるのだが、スマートでハンサム女子の憧れの先生だった。ちょっと型破りな所もあり国語の授業も面白かった。

そんな先生がある日真剣な顔で生徒達に言われた「これから大切な???の為に出かけるので君達はしっかり自習しておいて欲しい。ひょっとしたらコレになるかもしれない」と言って手を合わせられた。私達はその言葉と仕草にびっくりした。その仕草は警察に連れて行かれることを意味していたからだ。

先生達はその頃、勤務評定の闘いをしておられたのだと後になってわかったのだが、職員室には勤評反対のステッカーが沢山貼られていた事を思い出した。

あの当時の先生方は生徒の私達から見ても、とても生き生きされていたように思う。社会の先生は社会の時間に社会主義について語られ、音楽の先生は君が代の歌の意味をはっきりと教えてくださった。又、遠足に行った時にちょっと先生に甘えてしんどいなあと数人で何度も言ったら内緒で喫茶店に連れてもらってジュースをご馳走してもらっりと、今では考えられないような自由さのようなものが漂っていた。数学の先生も、英語のおばあちゃん先生も優しくて解りやすく教えてもらえた。

先生が結婚されると聞いて、生徒の私達はお相手の女性の顔をみようといって教えてもらったタバコやさんを探しにいったり、卒業してからも皆で家に遊びに行ったりした。

先生 沢山の大事なことを思春期の私達に教えていただき本当に有難うございました。きっと又お浄土でお会いしましょう。

 

 


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