忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

京都・西陣の思い出

2010-05-12 | 昔語り
京都 西陣でも私の住んでいた町内は織物を織っている家が少ない方で周りの地域では毎日「ガチャコン、ガチャコン」という音がしていました。
町内には大工さん(大家さん)や散髪屋さん、駄菓子屋、材木や、のり屋、質屋、などがあって今から思えば小さな地域によく揃っていたなあと思います。
それに隣の町内にちょっといけば風呂屋、タバコや、炭や、紙や、卵や、酒屋、歯医者、とありとても便利なところでした。
又、町内には狭い路地に長屋があったりしたけれど、表どおりには武家屋敷のような立派な家があってその隣の家も私の憧れの家で、離れに洋館があり、その家で町内のクリスマス会が持たれたりしました。その洋館にベッドがありそこの子供とベッドで遊んだのを思い出します。その当時としては(終戦後6年から10年位だった)本当に珍しかったのではと思います。
夏の地蔵盆では各組ごとに仮装行列をしたり、それぞれの町内が盆踊りをやって大人も子供も「月が出た出たつきがでた!ヨイヨイ!」と踊って楽しみました。皆が一つになって一生懸命生きていたように感じます。

今はお店などもすっかりなくなり、新しく立て替えられた家々が立ち並び面影もなく、町内の行事もすっかりなくなってしまっているようです。
昨年 何十年ぶりかで訪れた時、武家屋敷とその隣の家が残っており、そこの住人の綺麗な奥さんが「90何歳になったんよ」といってとても懐かしく迎え入れて頂き感動しました。
そんな対面のあとでしたが、帰路の時、私はまるで浦島太郎の気分でした。


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