忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

おくれさきだつ一旦のかなしみ

2010-03-15 | 昔語り

長い年月を生きるということは、やっぱり楽しみより辛いことの方が多い気がします。若いときは山中鹿之助が言ったという「われに七難八苦を与えたまえ」という言葉が気にいって自分はどんな苦も受け入れようなどと思い上って考えたりした時もありましたが、さあ、その時の自分は本当の苦しみも解らず、真から辛い思いなど味わったことのない甘えた人間の考える事だったと思います。

でも 辛い別れは自分が長く生きれば生きる程、経験しなければなりません。夫や母、実母、実父、義母、義父、義兄、叔父 何人かの親しかった友人などなど  父の時は胃がんの手術のあと何年間かの療養、入院生活を経て、いよいよ主治医から後 余命3ヶ月と言われた時、父はそのことを知らずにいました。そんな父に私はある時それとなく《「おくれさきだつ一旦のかなしみ・・」って言う言葉があるんや  私の旦那もそしてお母ちゃんもあっちにやはるしな・・・私もいずれ行くことになるし  この順番はほんまにわからへんなあ》と話していました。今から思えば父には辛い言葉に聞こえたかもしれないし、私は自分自身に向かって父の死を受け入れようとする必死の言葉だったかもしれないと思ったりしました。

 真宗聖典・ 口伝鈔のなかに仏法を学び念仏している人が、父母や妻子の別離を悲しむとき何のために念仏したり、仏法を学んでいるのか恥ずかしく思わないのかと批判した人に対して親鸞聖人がたとえ未来はともにお浄土の再会をうたがいなしと言えども凡夫の情は深く嘆き悲しむのは当たり前のこと。「おくれさきだつ一旦のかなしみまどえる凡夫として、なんぞこれなからん。」 悲しみをかくして私は仏法を学んでいるからと・・・勇猛にふるまったりするのはみな虚仮 真実ではないと言われた一節から(私の解釈が間違っていたら許してくださいね)

 お浄土で再会できると思うと、悲しみが少し薄らぐような気がしました。


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