忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

スマナサーラ長老の「怒らないこと」という本  他

2024-06-01 | 旅の途中

2014-01-06 | 旅の途中ブログ

 スマナサーラ長老の「怒らないこと」というが今まで読んできた仏教の本とは全く違う様に感じ心にストーンと落ちた。

そして「仏教は心の科学です」を読み、ますます確信した。これだったんだと。

そこに又 友人が日本仏教についての変遷を書いた本を見せてくれた。

そして義姉の葬儀で思った・・・・この生き方が仏陀が説く仏教そのものだったのではなかったのだろうかと。

テーラワーダとは、パーリ語(古代インドの言葉)で、長老の教え、という意味で、お釈迦様の時代から、二千五百年間の長きにわたって実践され受け継がれてきたお釈迦様の根本の教えなのだそうです。

先日も修行について書かれた部分を読んだ。

私も時々「修行が足らへんなあ・・」とよくいうが、そんな時、本当に「修行」の意味をわかって心底使っていたのだろうか?果たして疑問に思えてくる。

お釈迦様は『平安な心と忍耐は最高の修行です』と言われている。

「最高の修行というのは何日間も断食をしたり冬に滝に打たれる行などをして、わざと苦しんで忍耐の精神を育てなくてもふつうの生活の中で、いくらでも、平安な心を作らなくてはならない場面や忍耐をしなければならない場面が起こってきた時に、『どんなものにも波立たない落ち着いた心』と『つらいことに対する忍耐をつくること』だと話しています。

いつの時代でも、どこにおいてでも、人は修行といえばこの二つだけやればいいのです。もしも修行がしたければ、まあこの二つだけやってみてください、とお釈迦さまはおっしゃっているのです。これはやってみるとかなりたいへんで、難しいのです。」

               (パーリー経典諸仏の教えより一部抜粋

確かにこれが一番難しい修行だろう。「できひんわ・・・」と諦めずやってみよう!そやけどこの修行、死ぬまで続くやろうなあ・・・。

       日本テーラワーダ仏教協会

 

2014-01-12

年ぶりになるだろうか?久し振りに修行僧のNさんが来られた。

話は懐かしい人たちのことから始まり、仏教の話、 生き方 、そして先の希望についてなど等 話はつきず楽しい時間があっという間に過ぎた。

学生時代親の言いつけを守り勉強一筋に励み、社会にでていろいろな人たちに出会い人間関係に悩み、苦しんできた彼が言った言葉は

「いくら勉強ができ賢くても人との関係がうまくいかなかったらだめだということがはっきりわかりました。」。

生きていくうえで一番大事なことは人との関係で自分と意見が違う人ともどのように付き合っていくかをよく考えていくことだと話されていた。

好き、嫌いで選別しがちな自身の中身をもう一度振りかえなければならない言葉だった。

お経もちゃんと呼吸法を考え健康にいい呼吸を考えて作られているという「釈尊の呼吸法」という本の話から、もう文字も小さいので彼に読んでもらうことにした。ついでに本箱にあった仏教辞典や教行信証、唯識の本など貰ってもらった。

こんな難しそうな本読まれたのですか?と聞かれ「さーっと読んだだけかもしれへんけれど 昔、 師が難しくても目を通しているとどこか心に残る部分に出会うはずと言われたから・・」と答えた。

会うたびにひとまわりずつ大きくなっていかれる修行僧のNさん。

「ええ お坊さんになって人々を導いてや~」    

2014-01-21

年末に知り合いの方が交通事故で突然亡くなられた。組合の代表の一人として大事な仕事をされ私のところにも何回かメールを送って頂いたりしていた。

年明けに同じ団地の方が病気の為亡くなった。この方とは昨年 体操のことで初めて顔見知りになり、言葉を交わしたりしていた。

続けての訃報に驚くとともになんとも言いようのない人間のはかなさを感じた。

「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」という親鸞聖人が詠んだと言われる歌が心の中に浮かんできた。

 「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。同じように、私の命もいつなくなってしまうかわかりません。どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」と親鸞聖人が子どもの頃、高僧 慈円に願ったと言われています。

少し早かった人生だけれど悔いのない人生を生きられたと思いたい。

そして自分も後に続くものとして毎日を精一杯生きなければ・・・・


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