節分から八十八夜もふた周り近くになろうといういまごろの表題にはおかしいが、来年書こうでは鬼に蹴飛ばされそうだから、時節はずれを承知で書くことにする。
内部の内部は外部という、ややこしくておもしろい言葉がある。
「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一)で読んだ。
細胞が外部から何かを取り込んで細胞の一部のようにしたとき、その一部分の内部は元の細胞からみれば外部だという論法である。
あるものの居場所が内か外かのどちらかということならば、内から境界を越えればそこは外でしかない。
内の内だからうちうちなどというだじゃれは通用しない。
いったんからだに吸い込んだものを、貯め込む場所を作って背負って歩く。
その場所は体の外側にあるように見えてもそこから足が生えている。
そんな生物が、私たちの身近にいる。
http://blog.livedoor.jp/yamato_onoko/
内部の内部は外部という言葉を思い出したのは、鬼の幼虫のような気味の悪い写真を見たときだった。
内部の内部は外部という、ややこしくておもしろい言葉がある。
「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一)で読んだ。
細胞が外部から何かを取り込んで細胞の一部のようにしたとき、その一部分の内部は元の細胞からみれば外部だという論法である。
あるものの居場所が内か外かのどちらかということならば、内から境界を越えればそこは外でしかない。
内の内だからうちうちなどというだじゃれは通用しない。
いったんからだに吸い込んだものを、貯め込む場所を作って背負って歩く。
その場所は体の外側にあるように見えてもそこから足が生えている。
そんな生物が、私たちの身近にいる。
http://blog.livedoor.jp/yamato_onoko/
内部の内部は外部という言葉を思い出したのは、鬼の幼虫のような気味の悪い写真を見たときだった。