マラソンの中継解説は独走のときが難しい、と名解説者の増田暁美が言っている。
競争でありながら、競争の相手がはるか彼方にいて、競争が自分との戦いのようになってくると、走者の心のうちを何か伝えなければならないと思うようになる。
中継放送とはやっかいなもので、言葉が流れていないと、何をしているのかとディレクターからお小言が来るのだろう。
ラジオでは黙っていられると空気のつかみようもない。TVは画面に走者が映ってさえいれば、下手なおしゃべりはかえってうるさい。
すきまを埋める仕事を続けていると、言葉が途切れればそれがすきまだ、埋めなければならないと思ってしまう。
書画には余白の美しさがある。
放送も余時限の美しさを出せるようになれば一流と言えると思うのだが、どうだろうか。