いつのまにか原発の台数は54基に増えていた。
いま完全な運転状態にあるのは23基というから、調整運転中から停止中、廃炉にごく近いものまでが31基という勘定になる。
こんなにたくさん止まっていて何とかなっているのなら、全部止めてもいいではないかという論法はもちろん成り立たない。
原子力発電をいますぐに全部やめてしまえ、それ以外の発電で賄えるからなどとデモ用の暴論を唱える人もいるが、話はそれほど簡単なことではない。
火力発電には、地球の3分の1周ぐらい回ったところでいつも戦争をしている国から、燃料を高い値段で買い、海賊が跋扈する物騒な海を通って運んでこなければならない。
ロシアのガスがいちばん手近だが、あそこはいつ寝返るかわからない。
水力発電で賄える電力はたかが知れている。八ッ場ダムの発電量など、ないよりはましぐらいのものでしかない。しかも水はお天気任せである。
風力や太陽光、これもお天気任せ、雨、風、お日様をうまく組み合わせればいいではないかと考えるかもしれないが、それも子供の絵本のような話である。
波の力はさんざ見せつけられたから、すごい力を持っていると知っても、海がこちらの都合に合わせて力を貸してくれることなど当てにできるものではない。
これから3年後5年後と年数を経るごとに、エネルギー事情はぐんぐん厳しさを増し、これまでの生産機構、生活習慣のままでいけば、7年後にはお手上げ状態になるだろう。
もし原子力がどうしても嫌なら、日本中が電気は贅沢なものという感覚に宗旨替えをしなければ、それ以外の方法で需要を満たすことはできない。
危ないから嫌だと言っているだけでは、デモを打とうと何をしようと、問題を買片づけることはできない。
電気に甘え過ぎた文化テキ生活は、いま深みにはまってしまっているのだ。