大根が花をつけて畑に残されている。タネを採るためかと想像する。
確かめるまでしなくても、それで気が済む。
だが、抜いて持ち帰らずに寝かせられているのは何のためなのだろう。
これは気になる。
何のためにがはっきりしないと、ムダな行為ではないかとむやみに気になる。
「あのことは、実はこうだった」「そうでしたか」
説明の意図がはっきりしていれば、聞くほうのあたまもすっきりする。
発表「何日の何時にこうなっていたと推定される」
「いつ」は聞けても「なぜ」は聞けない。
時刻まで聞かせれば確かな情報らしくはなる。だが、それだけを言わせられているような発表は、聞かせられるとまた疑念が交錯を始める。
サイケデリックは、アートの世界だけでたくさんだ。