何もなければ、2輪車などはここを通り抜けようとするだろう。
近道の選択は、回り道より優れているという、迷信に近い効率優先の習慣が、本能のようにくっついてしまっているから。
敷地の隅のごくわずかの部分でも、花壇か植え込みか、そういうものがあれば、通り抜けはしにくい。
障壁ではないが、障壁の役目をしながら通る人の目を楽しませてくれる、そんな工夫をしている人がいたのだ。
障壁とみれば何でも撤廃、TPPなどと横文字略号のついたことならなんでもOK、そんなことはもう前世紀にさんざん苦い思いをさせられた、あれやこれやでもうたくさんなのだが。