自然の石らしいものと、人口の石らしいものが、砂浜に並んでいた。
人口の石、つまりコンクリートの塊は表面から徐々に崩れていく。
自然の石は、崩れるのではなく、穴だらけになっている。何かに溶かされているかのようにも見える。
溶解か。ことによると、この石は、そんなにむきになって頑張り続けなくてもいいと思いはじめたのではないか。
石が何かを考えるはずがないというのは、人間が勝手にそう思っているからで、石の意思など理解しきれることではない。
ついでのダジャレを連発しておけば、石頭のことは吾人のスカスカになった蜂の巣頭では理解できないのだ。
ものごとの理解というのは、溶解からはじまるのではないだろうか。
沽券と名付けられた正体不明のものが、理はどうでもよく溶けてなくなっても別にどうということはないと思いはじめたとき、早く言えば、沽券のメルトダウンが始まったときに理解の道が拓けてくるのだ。
この作用は、じわじわ溶解がすすむところが肝心なのだ。ストンと落してやろうと事を急げば、きっと水蒸気爆発を起こすことになるだろう。
HN発電所の事故は、放射線と一緒に、こんな知恵もまき散らしてくれたのだった。