サファリパークの動物の不幸は、自由の錯覚だと言った人がいる。
仕切られた囲いの中で、走り回ったり寝そべったりするさまを人が見れば、ああ自由でいいなと思う仕掛けになっている。
だが、あの動物たちは、そこにいなさい、これを食べなさいと、厳重な制限を受けている。彼らは、檻のある動物園と自分たちがいるところを比べてみるすべを持たないから、あそこよりもましと思うようなことはないが、まったくの自由ではない。
この間夏休みが終わったと思ったら、また秋休みというのがあって、学校は連休だと孫がやってきてごろごろしている。
中学生のほうは急に休みで迷惑だとぼやき、小学生のほうは学校にいるほうが面白いと言う。
散歩にでも誘い出そうとしてもいやだと言う。
何もしないのが自由だ、どこかに出かけるのは束縛だと決めているらしい。
吾人が子供のころは、自由にするという感覚も、束縛されているという感覚もなかった。
ゲームだ、テレビだと、自分からは何もしなくても何か目の前のことが変わってくるのが日常になると、人間は自分から動こうとしなくなる。
むかし、子供は歩き回っているものだったが、いまはしゃがみこんでいるものに変わってしまった。
体を思い切り縮めて動かない状態が、いちばん自由に近いと思っているのだろうか。