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・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

みの入ったパン

2011年11月01日 | つぶやきの壺焼

パンでも饅頭でも、みの入ったものは美味い。

口に入れたとき、噛みしめたときに感じられる、作った人の心意気が、食べ物の「み」だと思っている。

ただ甘いだけ、むやみにべとべとしているだけ、ツンツン匂うだけ、驚くほど辛いだけ、そんな食べ物の多い中に、「み」をだいじにしていそうなクリームパンを見つけた。
『一つ一つの「お品」を徹底的に考え抜き、丁寧にお創りする。それが今の八天堂です』と言っている八天堂というパン屋さんが広島にある。

http://www.hattendo.jp/story/index.php

手の込んだケーキではない。見るからに単純なクリームパンなのである。

先日、二文字の題名の面白そうな本を図書館で借りてきた。
いくつかの賞をとっている作家の本で、広告につられて予約しておいたら、早く借りられた。想像していた厚さの倍ぐらいあって、おやと思う。
なんとなくすぐ開く気にならず、数日後に読み始めた。
朝起きて、何をして、かにをしてと、生活情景描写でもないこまごましたことがしまりなく続けられている。
この本は「み」がなさそうだと、目はその先へ進まなくなった。

食べ物にしても、読み物にしても、「み」のないものに出会ったとき、作った側にも受け取った側にも、そこに小さな不幸が生まれる。
すぐにあきらめがつくその不幸は、あえて気にしないだけに、どこかにこびりつくのではないだろうか。