自然を模倣したデザイン、自然を感じさせるデザインは、人の心を和ませる。
しかし、自然をデザインすることはできない。
優れたデザインで自然を作ろう、デザインが自然を変える、そんなことは、言うのは勝手だが、言ったそばからたちまち嘘になる。
自然の一部を、あるひとかたまりの人間に都合のいいように変えることはできても、それが自然を変えたことにはならない。
人間には天邪鬼が多く、変えられないもの、変えてはならないものを変えたがり、変えればよさそうなものを変えようとしない。
スイッチがたくさん並んでいる制御盤では、スイッチの目的によって把手の形を変えておけば、まったく違った目的の操作を間違えてする危険は激減するだろう。
大きさを少しぐらい変えておいても、似たような形、同じ色の把手を使っていれば、間違う機会は間違いなく増える。
いま、空を飛んでいる飛行機の操縦室に、たとえば機体姿勢制御操作用と、機内扉開閉操作用のスイッチの把手を比べたとき、大きさは違っても同じ形のものが使われているとしたらどうだろうか。
人間が空を飛ぶという自然に打ち克ったつもりの行為も、安全安心であるとは言い難くなる。
家電のスイッチでさえ、ごく自然に働く人間の感覚では、間違えてしまうようなデザインのものがある。
どう使うかという機能への配慮が、見た目がよいということの後回しにされるデザイン思想が、戸惑いや間違いを引き寄せるデザインを優美なもの優位なものにさせてしまう。
ものごとの順序のうちには入れ替えてはならない判断基準がある。
総合判断というお題目と、設計承認という手続きのどこかで、物差しのあてがい方を間違えているのではないだろうか。