優良対劣悪、わかりやすい対義である。
だが、わかりやすい概念は、なにごとにも共通と思われがちのところに怪しさがある。
優良劣悪があるなら、優悪劣良ということもあってよいはずだが、それは曲がった考えだと思うのが常識という名の相場らしい。
概念は、思い込んでしまうと観念になって頭の隅で固まってしまう。
優れているものは良く、劣っているものは悪い。
そんな観念が、教育・研修の場にまで入り込んでくる。
教育・研修の場では、悪いことは教えないものと誰もが思っているから、そこで取り上げられたことはすべて良いということになる。
新概念でもないのだが、“優悪”ということの実例を挙げてみよう。
ディベートがそれで、あれは有害研修のひとつではないかと思う。
どんなことを言ってもよいから、とにかく相手を言い負かす。
ひたすら感情を抑えて、論理にもならないようなことまで持ち出し饒舌で戦う。
目的は勝つことにおかれていて、互いに考えることはそっちのけになる。
口が達者で常に相手を打ち負かす言葉より、普通のことをきちんと言える、当たり前の言葉の訓練をしたほうが良いと思うのだが、どうだろうか。
![]() |
大村はま 優劣のかなたに: 遺された60のことば (ちくま学芸文庫) |
苅谷 夏子 | |
筑摩書房 |