人類は二つの妄信による大きな失敗をした。
ひとつは、経済が有力な学説にしたがって科学的または論理的に動くという妄信、もうひとつは、自然が計算に基づいた仮定を超えるような激しい変化をもたらすことはないという妄信であった。
妄信のもとは言葉である。
社会は政治分野のことであって、科学の範疇ではなかった。
であるのに、経済社会、社会科学などと、どこか響きのよさそうな連結熟語を編み出して、それを妄信の手助けに使ってきた。
確率事象として扱うには、計算してみるという行為以上の意味がないことにまで、何パーセントの確率でなどと、つい信用してしまいそうな表現手段を用いて、既に決めてしまった計画推進の妥当性の論拠としてきた。
言葉だけで作り上げた枠組みなどは、地球の表面を一瞬で走りぬけ、地表の内部を揺り動かす大きな力を前にしては、押さえにもつっかえにもなりはしない。
とは言え、失敗は大きいほど学べることも広く大きい。
政策が合うとか合わないとか、賞をもらえそうかどうかなどという、小さなことは個人の目標なり夢なりに任せて、大失敗が生きるような、組織的な思考プロジェクトを推し進めることを考えるよう、賢人方に奮起してもらいたいものである。
転換が発想まででおしまいでは、思いつき遊びにしかならないのだから。
日本型リーダーはなぜ失敗するのか (文春新書) | |
半藤 一利 | |
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