魚は釣るもの、けものは飼うもの、日本人のおおよその感覚はこうだろうと思います。
いいやそうではない、こういうこともある、それも当たり前としたうえでの話ですが。
魚は尾頭付きが祝いの膳に上って喜ばれますが、ふだんは魚の姿を見せなくした刺身が多く好まれます。
刺身や寿司は、日本人どうしの清潔感共有の前提があってこそ、その味を愉しめるのだという説があり、もっともだと思います。
地べたにじかに並べて春巻きを干すようなところでは、刺身に箸も向かないでしょう。
日本では肉の尾頭付きは見ません。
どこかの国で丸焼きを見てきてわざわざ真似をするモノ好きは、例外としてありますが。
顔かたちが見えるようにしておいて、その肉を切り刻みながら食べる、そういう食文化をもった国では、人を人と思わないことが行われます。
残虐を許す神は、何かにつけ生活の端はしに現れるようです。
おだやかな神は、ふだんの暮らしのなかには姿も見せず、言葉にも出させません。
悪口にまで神様を引きずり出すようなことは、この国ではしないのです。