何かに取り組もうとするとき、そのときに考えられる仮の結論を先に立てて考える方法を仮説思考と呼んでいるそうです。
仮の結論は、それを出しておこうとする人が望んでいる方向で考え出されます。
望みと違うことに向かう仮説は、はじめから、あるいは途中でこれはだめだと気がついて、除外されるでしょう。
仮説というものは、どうやら自分に都合のよい考え方を言い表したものということになりそうです。
つまり「仮説は自説の解明から生まれる」のです。
ものごとの説明は、ほとんど自説の解明です。
それをざわざわ求めようとするときには、そのことに賛成か、反対か、あるいは何らかの興味があるということになります。
いずれにしても、その説にかかわりをもたされているわけです。
説明責任を果たせという、もっともらしい注文の付け方は、知らずしらずに、唱えられた説にはまり込んでいるという、愚かしいことのようにも思えてきます。