まともな記者は地方に飛ばされるという不吻律があります。
不文律は了解されている掟ですが、吻、この"ブン"は隠れて見えないものの言い方という意味をもっているそうで、了解されることのない"フブンリツ"は、こんな字になるのではないかと思います。
いま、地上波のTV放送や著名の新聞には、我先にと競争で外国の政治宣伝の手先をつとめているかのような番組や紙面が目立ちます。
詐欺師を使ってうそを言わせ、そのうそ話をたねに、人々の目や耳が寄ってくるような疑惑を作り上げて、政権たたきを仕掛けるという、何とも見苦しい愚報が次から次へと発せられます。
世界の耳や目は、ものごとを素直に聞き取りまっすぐ見るという、ありのままの働きが、互いの認め合いの基本になっていると思わなければなりません。
正しと思えば正しい、間違っていると思えば間違いと、まず伝えることが最初の一歩です。
自国が"悪い"と言えば、相手は、悪いならば謝れ、償えと必ず言います。
反省してみせるというような、卑屈な態度を見せれば、相手は必ず上から見下ろします。
自国の政治家の卑屈と自虐を嫌う、そいう記者がだいじにされないような局や社は、衰退して行くことに間違いなさそうです。