・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
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こんなのもある もう一種:12 いたずら

2018年03月28日 | つぶやきの壺焼

ひどい働かせ方をされたとき、それに応えて命までなくす人もいれば、途中であほらしくなっていたずらを始める人もいるでしょう。
いたずらも一種の健康法です。
ただ、そのいたずらの残り滓が、悪者のゆすりのタネに使われたときには、悲劇が起こります。
自分ではいたずらもしない無精者は、その悲劇を観て楽しみます。

ゆすりのかたちは金銭要求だけではありません。
権力を奪い取る気もない弱虫が、権力をはがし取り、脱がせて見る快感を得ようとするゆすりの手口もあります。

仕事の書類もいたずらの材料にできます。
してはならないことをするのがいたずらですから、その結果から何かを望むわけでもなく、ただやってみるときのニヤニヤ感のお楽しみだけが動機になります。
たとえば、自分の手の届くところにあるだいじな書類に、まったく無関係な作り話を書いたものを添付しておくといういたずらもあります。
判を押すだけが仕事の人は、そんな添付書類には気がつきません。
その書類が、ある日閲覧を要求されました、さあ大変です。
いたずら担当官は、こんなものをなぜ付けておくと責められないよう、日常の文書作成技能を駆使して、不要な部分を消し去った書類を閲覧させます。

いたずら小僧は、冷や汗ものの体験を、自分の胸にしまってはおけません。
居酒屋の小自慢話が、ゆすり屋の耳に入ったときが悲劇の幕開けで、劇作家の手にかかればたちまち大劇場で上演できる筋書きが出来上がります。
次には、観客が一挙に増えそうな役者を出せ、出さないの悶着がまた喜劇にもなります。

悲喜こもごものこの雑劇は、いまではリアルタイムで海の向こうでも見ることができます。
このようすならまず大丈夫と、かまどに火を起こしてうちわを持ち、いつ風を送ろうかと待ち構える人を、ひと休みの気分にさせます。
こちらの舞台では、足もとにまとわりつく虫を踏みつけずに追い払うのに大忙しの場面が演じられます。

さしあたり気付かないふりをしていても、やはりひどい働かせ方のお返しは、時間つぶしの雑劇という、無駄なものしか生み出していないようです。

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