・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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こんなのもある もう一種:13 教育という名の技能学

2018年03月29日 | つぶやきの壺焼

教育基本法では、教育の目的を第一条に定め、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」としています。

私たちは、平和で民主的な国家及び社会の形成を、世界中の人があたりまえのように願っているものと考えがちです。
ところが、地球上に住む人類のなかには、平和ではもの足りない人、独裁を好む人が、ある割合で実在します。
何千年もの歴史をとおして、あたりまえではなさそうな人が絶えないのは、あたりまえでないことが種全体の生存への力となって働いているからでしょう。
普通でない人々が絶滅してしまえば、人類全体の生存力が衰えるかもしれないというのは、認めたくないことではあっても、実験で確かめることのできない、解きほぐしようのないことがらです。

日本でも、2020年から小学校でプログラミング教育を必修科目とし、学校での利用を見込んだタブレット市場が加熱しそうな雰囲気もあるようです。
プログラミング教育への傾倒は、人間が自分の頭で考えずに機械に考えてもらうような、技能万能への誘導性をもち、それが気がかりです。
優れたプログラマーが育てられれば、何千年もの課題に一挙に答えを出してしまうようなプログラムができてしまうかもしれません。
しかし、そのプログラムを実行した後には、あこぎな独裁的人間に使われるよりも、もっとひどい条件で生存を強いられることがないとも言い切れません。

私たちの子孫は、平和で民主的ということばを暢気溌溂なものに聞きとらなければならない時代を迎えることになるのでしょうか。

 

 

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