「ここのモードはどうかね」
転勤先で初めての現場長会議が終わって、エレベーターホールで長老格の人からいきなり質問が来ました。
ムードの言い間違いかと一瞬思って、返事が詰まったことを思い出しました。
ムードとモード、「ムードはある時期にしか属してくれず、すぐどこかへ行ってしまうけど、モードこそ気持ちでどうにかできるものでもない」という、見事な区別があります。(打楽器逍遙 6 ムードとモード 増村和彦)
イン・ザ・ムードという曲は、こちらを向いて追いかけて来いと、日本人を急き立て、懸命に働かせる雰囲気をもっていました。
モードをムードの間違いではないかと聞き損ねたのも、ちょうどそういう時代のことでした。
赤を排斥しながらみずから赤かった占領国の軍によって、つくりあげられてしまったモードはなかなか強固なものです。
体はしきりに動きながら、負けた、悪かった、恥ずかしいと、頭も心も下を向き続ける奇妙な人々が大勢育てられました。
その人たちが持たされたコテによって、政治の場、教育の場はそのモード一色に塗り固められ、国旗と国家が許されるのは金メダルをもらうときだけという、おかしな風習ができてしまいました。
個人の心は入れ変えられても、風習はひとりでは変えられません。
国旗が揚げられる情景さえ報道の映像からはずす局もあるそうです。
国民がこぞって喜んでよい普通のありさまを見せずに、どこからいくらもらったなどと、下司なことに力を入れて報じる愚報のバカ尾根は、長くながく続きます。