XX罪というような罪状の分類ではなく、無理やりつくられた罪を無理罪と名づけてみます。
無理罪のメーカーは劇作家、脚本家、演出家、役者たちで、出来上がるのは見せるための罪、話の上での罪です。
無理罪が見せるためであるうちはよいのですが、劇話の関係者以外の人が、仕事の材料としての罪作りを始めると、世の中にあまり良い影響は与えません。
たとえば、談合という行為をすべて罪であるとしてしまうことです。
他人を傷つける傷害はだれが考えても罪と言えるでしょう。
しかし、同業組織間の協議を、契約にかかわることであればすべて談合で、それが罪であると言い切れるでしょうか。
ある地域でいくつかの事業が計画されていて、施工を請け負う企業が、働く人たちの仕事に偏りができないよう、自主的に均等受注しようと相談したとします。
上の2行は、次のように言い換えることもできます。
これはあるQAサイトから拾った談合の説明文です。
ある地方自治体が道路を建設することになったとしましょう。その際、工事費用を少しでも抑えるため、業者同士を競争させて一番安い金額を提示した業者に依頼します。ところが、業者側が結託し、談合で事前に工事の見積金額を決めてしまえば、自分たちが儲かるように費用を吊り上げることができます。そのお金の出所は、私たちの税金。つまり、談合によって本来は必要のない高いお金を払わされ、税金の無駄遣いになってしまうことが問題なのです。
こうして談合という無理罪が仕立てられていきます。
なぜそのような罪つくりがわざわざされるのでしょうか。
それには、罪がなければ仕事がなくなる人がいるからという、奇妙な理由しか思い当たらないのです。