大騒ぎは、あまり品のよくない芸ごとのようです。
それを好む人はただの演じ役に過ぎません。
なぜ大騒ぎしなければならないのか、それは騒ぎのほかに見せたくないことがあって、そちらに目を向けさせたくないというだけのことです。
しかし、下手な騒ぎ方をすれば、その演技をだれも見てくれません。
人々に見向きもされない演技を、それでも見せたい一心で、さも大ごとのように報じる新聞があります。
明らかにはできないものを抱えながらのガタピシャ芸は、また始まったかうるさいなと嫌がられるタネにしかなりません。
同じことが2日続けてトップ記事にされれば、それはもうニュースではなくニーズのカスであるということに、いつも山の上にいる気分でいたい人々は気づくことがありません。
愚報の山並みも、31日眺めてやっとバカ尾根の尻尾が見えました。