蓄財願望は無限に拡大します。
実体の見える財には蓄積できる限度があるので、いわゆる泥棒のすることなどはたかが知れています。
モノによらない仮想の財は、置き場に困ることがないので、際限なく蓄積されます。
蓄財がとどまるところを知らなくなれば、その獲得者は蓄財行為の継続に縛られ、ものごとの判断基準がすべて儲かるかどうかに置き換えられます。
同業のことも自国のことも、時局のことにも、経済性以外の価値は意に介されなくなります。
そうなれば、隣国から絶え間なくやってくる儲け話の巧言に吸い寄せられる醜態も、相手には媚態に見えるだろうという錯覚のわなにはまりこんでしまいます。