約束をたがえない、これは人間の美徳の一つです。
あたりまえのことをなぜ美徳と呼ぶのか、それは、はじめから約束を破るつもりでする、あるいは約束という概念がもともとない、そんな民族が実在するからです。
政治を生業とする人の中にも、美徳よりも利得が先という人は数多くいるでしょう。
美徳が稀少価値になってくると、それを持ち続けようとする人は、そこから外れる気配さえも見せまいと懸命になります。
いわゆる「ブレない」という気質にこだわると、政府として行ったこと決めたことは、情勢がどう変わろうと覆すことも変えることもできないものという呪縛から逃れられなくなります。
むかしといってよいほど前に、後のちへの影響など考えずにされてしまったこと、決めてしまったことに、変えなくてもよい理由づけを先にしておいて、変えない宣言を上塗りのようにしていけば、縛られた縄はニスで固めたようにいっそう強固になります。
人々を心地よくするはずの美徳も、こうなると意地の塊のようにしか見えなくなってしまいます。