「発表中の暴風警報が解除されました」
発表中なのに解除、台風が来ると奇妙な放送が繰り返されます。
発表というのは知らせる行為で、知らせてしまえば発表という行為はそこで終わりでしょう。
発表中と言われると、まだ発表が終わっていないのにと聞こえます。
放送にはもうひとつ奇妙なことが重なっています。
警報が発表されるということです。
警報は、元来命を守るために出される、自衛の意識を共通に持たせる一種の指令であるはずです。
それならば警報が出されることは、発表というなかば呑気な言い方ではなく、発令と言わなければ言葉の強さは伝わりません。
発令というと、「なんだ、役所はシミンに命令するのか、行動の自由を妨げるのか」などと、わけのわからない難癖をつける輩が現れてうるさいので、発表と軽めに言っておこうかという、いじましさが感じられるのです。
役所が言葉の意味を曲げてまでものを言わなければならない一方では、国会の議長職にある人の会議での発言の意味を曲げて、それに文句をつけ、国会の審議を一時間半も遅らせるという馬鹿なことをする政治家もいます。
こんなふうに、言葉のたがが、はめなくてもよいところできつくはめられ、意味が捻じ曲げられています。
日本人にとってだいじな日本語が、遊びごとでなくまじめなもの言いが必要なところでも粗末に扱われているのは悲しいことです。