グローバルという呼び名が一時もてはやされ、何でもかでもグローバルを付ければ人気を博すように見えた時期がありました。
それが、力のある企業が地球規模の経済活動を押し広げる戦略の呼び名らしいことに人々が気づき始めると、グローバルを冠した呼び名は、どこか間抜けなようにも聞こえるようになります。
それぞれの地域でそこにあった生活を続けているものを、ガラッと変えさせて世界中まったく同じように一体化しようというのもバカげた話なのに、それが理想と唱える人もいます。
理想と言いながら、それはただ自分の思い通りにしたいという野心でしかないでしょう。
海外で新しい呼び名を耳にすると、すぐに惚れ込んで試してみようとする、そこまではよいのですが、自分の心まで明け渡し、脳の働き方まで変えてしまうのは、危ない性格だと思うのですが、いかがでしょうか。