・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

夕暮れ

2011年02月13日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

 

冬の港の夕暮れ、飼い主は背を丸め、飼い犬は短い足を踏ん張る。

飼い主は何がしかの悩みを忘れたいと時を過ごし、飼い犬は退屈だけがいまの悩み。


ずっと座り続けている飼い主は、この町ではストレンジャー。

ご主人の立ち上がるのを待っている飼い犬のすることはストレッチしかない。

 


モンスター:3

2011年02月11日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

鳥の形には自然の巧みさが集約されている。

駅の階段の手すりに、鳥か。

自然にできた鳥とはまったく無関係のものが、鳥に見えることがある。

人間が作ったもので、実用にならないけれども実在するものを、赤瀬川源平は「トマソン」と呼んだ。

この鳥は、作られずにできてしまったもの、こういうのは、なんと呼んだら面白いだろうか。


私の中

2011年02月10日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

「私の中では」という言い回しを、私は好かない。

私という一個の人間の、そのまた中に、誰を連れてこようというのか。

そんなものをむりやりねじ込めば、肝心の  「私」 も崩れていくではないか。


「私は」といちいち言うのも時によってくどいが、これは文章にはどんな場合にも主語が必要であるという、作文上の迷信に侵された人たちが、何かを言い出すときについ口走る単語である。

それでさえも、「私の中では」とことさらに主語をぼかした気取りげな言葉よりは、ずっとましだ。


潮気

2011年02月08日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)
国語の辞書で「しおけ」を引くと、塩気、鹹気、潮気の三つの熟語が並んでいる。
塩気と鹹気は、塩からい味、塩の分量、塩分を意味し、潮気は、潮の気配、海上や海辺の塩分を含んだしめり気とされている。
万葉のころには「塩気立つ荒磯にはあれど」などと詠われていたらしい。

電気工学の講義で、「碍子はチョウキ、ジンアイのフチャクによって絶縁性能が低下する」と先生が話されたことがある。
ジンアイのフチャクはすぐ見当がついたが、チョウキとは何だろう。教科書を見ると「潮気、塵埃の付着」と書いてあった。

後に電力供給の仕事をするに及んで、台風のさなかに変電所の窓から、送電線鉄塔の上のほうにボワァーンと火柱の立つのを見たとき、これがチョウキの影響なのかと授業の手ごたえを感じた。
こういう現象は、いまでは「塩害」と呼ばれている。その言葉をはじめて聞いたとき「潮害」と言ったほうが正しいのではないかとも思ったが、「鳥害」との区別の要もあってのことかと納得した。

塩害は、電気絶縁だけでなく、金属構造物の敵にもなる。
海岸近くの構造物はすぐ錆びてくる。


塩分に強い塗料も塗装法も、その気になって探せばあると思うのだが、相変わらず昔流の塗装が行われているようである。
錆びなくなるとペンキ屋さんの仕事が減るからだろうか。

仕事というと、質の問題より先に失業を考えるように世の中がなってしまっているから、錆びは繰り返し出てくるだろう。

防御

2011年02月07日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

駅の構内にコンクリートのU字溝があるらしく、蓋だけが見える。

大きなものではないが、信号線だろうか、だいじなケーブルが入っている様子である。

傍らに「ケーブル有り」と書いた標識板がところどこにろ立っている。


1.だいじなものがあるから気をつけよ、と誰にもわかるようにしておく。

2.だいじなものはそこにあることがわからないようにしておく。


防御方法には二通りあるが、うっかり者に効くのは1の方法、いたずら者に効くのは2の方法ということになる。

1は平和感覚、2は騒擾感覚。

やはり1番がよい。1番の向いている世の中であってほしい。


難病

2011年02月05日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

駅の通路に「ふらつき注意!」というポスターがある。

ホームから落ちる人が増えているので、効果はともかく貼っておこうというわけか。


駅のホームの端が、場合によって危険なことは誰でも知っている。

落ちるのは自殺か泥酔のどちらかだろう。

自殺願望には、ここにしようかという誘引効果が働くかもしれない。

泥酔すればこんなポスターのことは忘れてしまう。


落ちそうな人はまだいた。心の病に罹っている人だ。

自分の行動がわからなくなるほど病んでいる人は、落ちる危険を感じない。

そういう人は、ひとの背中を押せばえらいことになるとも思わない。


ホームに柵を設けなければならないというのは、人の病よりも世の中全体の病、これは半世紀かかって罹病した超難病である。


2011年02月04日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

影踏みという優雅な遊びを、近頃の子は知っているだろうか。

長い影のできるときに外には出ない。

そんな子供たちに言葉で教えても、「なにそれ」ぐらいで終わりだろう。


1月末の朝9時ごろ、影の長さは実物の高さの3倍はやや大げさ、2倍半ぐらいになっている。


どういうわけか、長い影には、心を落ち着かせる何かがある。


秘密

2011年02月03日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

探偵という商売は、人が秘密を持つことで成り立つ。

スパイという仕事は、国や企業が秘密を持つから成り立つ。

それぞれが身分を秘密にしているからこそ仕事に価値が出るのに、どういうわけか私はスパイだとTVに出て顔を見せたがる人も現れる。

探偵やスパイの次の仕事にしっかり見定めがついていればよいが、ちょっと様子がいいぐらいで顔をさらけ出したのでは、数年も待たずに一生分の仕事が終わってしまうだろう。

そうして仕事を持てなくなったときは、野垂れアル中薬漬け、死亡記事も3行だけ、ということになる。