・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

冷観・暖感ノート:4

2017年10月16日 | つぶやきの壺焼

知りたいことがあれば、相当程度まで、自分の部屋にいながら情報を得られる、ありがたい時代になりました。
そのかわりに、通常のTV番組や、なじみの新聞からは、本当にだいじなことを知り得なくなりました。

おかげで、日常生活と情報環境の関係が、不思議でもあり残念でもある状態にねじ曲がってしまいました。
不思議なのは、本当のことを知りにくい情報システムの代金が、本当のことがわかる情報システムの代金より高くなっているということです。
高いほうから安いほうに乗り換えればよさそうに思っても、残念ながら、高いほうの料金が受信装置を持っているというだけで強制徴収され、どちらか一方という選択ができなくなっているのです。

困るのは、料金のことだけではありません。
情報は、細かなどうでもよいことをもっともらしく組み立て、少しずつ模様を変えながら、同じことを何度も見たり聞いたりさせていると、それだけが本当のことのように、受け取る人たちの頭に残ります。
はるかに大きなだいじなことでも、発信を抑えてしまえば視聴者には届きません。
そのことが不法行為であっても、罰則も制裁措置も決めてなければ、発信者側の思いどおりの情報が流し続けられます。

ほうち国家ということばがときどき耳に入りますが、漢字ではどう書くのでしょうか。
"放置国家"では、いつかはどこかの国に乗っ取られ、大変なことになります。

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冷観・暖感ノート:3

2017年10月15日 | つぶやきの壺焼

ツーショットという変なカタカナ語があります。
二人並んで写った写真をそう呼ぶらしいのですが、写っている二人の心を結びつける何かがなければツーショットとは言わないでしょう。

選挙用のポスターで、立候補者ともう一人別の人の顔が印刷されているものをときどき見かけます。
自分の顔に自信の持てない人が、こういうポスターを作るのかもしれません。
一緒に刷り込む了解だけは得ていると思いますが、この場合は、候補者がもう一人の顔の力に頼っているだけの一方的関係で、二人の間に心の結びつきがあるわけではありません。
もしその二人が親密な間柄であるならば、「しっかりしなさい」とひとり立ちを促し、ポスターに顔は貸さないでしょう。

ポスターに使うなら、別々に撮った写真の合成よりも、並んで撮ったほうが効果を強められそうです。
そこで1ショット3万円で2ショットまがいの写真を撮らせるという、小商売をしている人もいると聞きました。
3万円とはいかにもけち臭い、リーチ・ツモだけのようなガメリ方ですが、これは意味散漫のシャレのつもりなのでしょうか。

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冷観・暖感ノート:2

2017年10月14日 | つぶやきの壺焼

相手より自分を優位に見せる"マウンティング"と呼ばれる行為があります。
性格ではなく、することですから、それにはいろいろな様相があります。

自分を良く見せたいという気持ちが自覚できれば気が済むので、笑顔をげんこつ代わりに使うこともあります。
自虐を装って自慢に変えてしまう手も使われます。

ひとの悪口を言いまくる、それが"マウンティング"として効果があるかどうか、微妙なところなのですが、そんな方法しか思いつかない哀れな人もいます。
もしそういう人を自分の代理人に選んでしまえば、そのときが悲劇の始まりということになるでしょう。

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冷観・暖感ノート:1

2017年10月13日 | つぶやきの壺焼

背景を見せずに、観客には自分の姿しか見せない役者がいます。
オーラという一種の幻覚で、背景が、観客の視覚に入っていながら意識に入り込まない状態がつくられています。

ワタシしか見せない見せ方は、発生術を身につければ強力な武器になります。
リーダーには、あるときには必要なことですが、悪用されると多くの人の判断を誤らせます。
もし政治の場で悪用されれば、国難を招き入れ、何十年もの間、人びとを苦しめます。

自然に立ちのぼるオーラでなく、意図の隠されたオーラには、たちの悪いものが多いので、気をつけなければなりません。

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指数・係数いろいろ:31

2017年10月12日 | つぶやきの壺焼

こうなのだという何かを、なぜかを考えさせずに思い込ませる手法は、人を育てることにも、反対に虐げることにもよく使われます。
基礎教育適齢時に覚えこまされたことは、忘れることができません。

社会の人ごみに揉まれたとき、それはそれ、これはこれとふるい分けができるように成長すれば、上手に忘れる能力もそなわります。

ふるい分けができずに、忘れることの下手な人は気の毒です。
恨みごとだけにしがみつく習慣を、国ぐるみもってしまえば、政治上最高の地位にあった人は、退位の後に必ず恨まれ断罪され、それが永遠に続く不幸から抜け出せません。


上手に忘れる能力は、発達し過ぎても厄介ごとの種になります。
日常生活で「あ、忘れた」ぐらいのことなら、「またか」でもすまされますが、国政、行政では「あ、忘れた」というわけにはいきません。
忘却度も、場合ばあいでほどほどでないと、XXX議員と呼ばれても、名刺に刷り込んだXXXが国会であることを忘れてしまいます。
XXXが国会であることを無視した行動には、忘却度などという言葉は当てはまらず、売国度~売国奴に読み変えなければならないことにもなります。

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指数・係数いろいろ:30

2017年10月11日 | つぶやきの壺焼

人びとに望みを持たせることはよいことです。

自分が望みを持つこともよいことです。

問題は、待望度分配率にあります。

自分の望みの分は90%を超え、人びとの望みの分はわずか数%というのでは、その人が政治の場に居続けることを望む人は少ないでしょう。

その人の望みが叶うとき、おこぼれにありつけそうだと、哀れな望みを持つ人だけが袖にぶら下がります。
そんな図柄は、宗教画にもなりません。

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指数・係数いろいろ:29

2017年10月10日 | つぶやきの壺焼

同じことを何度も聞くと、かくれた"うそ"があるのではないかと疑いたくなりますが、繰り返し叫ばれることにも"うそ"でないことはあります。
それは名前です。

選挙カーから名前だけ放送されて「よろしくお願いします」と言われても、何をお願いされるのかを知らされなければ、ただうるさいだけに終わります。

そんなとき、うんざり度はどんどん高まり、せっかく連呼された名前も記憶からかき消されます。
そうなれば比例区というインチキなセーフティネットに救ってもらうしか望みはなくなります。

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成長の下手な生物:31

2017年10月09日 | つぶやきの壺焼

人類の成長に下手を打ってしまった最悪手は、カネという架空の価値を信仰の対象にしてしまったことです。
信仰はいったん頭にしみつくと、洗い流すことはむずかしくなります。

カネを稼ぐにいちばんの方法は何かを売ることです。
人の命を奪う道具や、薬剤などには法外な値がつきます。

モノにはそれを作ったり加工したりという手間がかかります。
芸を売るにしても、高く売るには大変な稽古が必要です。

ところが、ほとんど手間なしで高く売れるものがあります。
それは、元手のかからない"うそ"です。
マーケットを広げ、たくさんの"うそ"を売るには、マス・メディアに乗せると効率がよくなります。
マス・メディアに乗せるには、費用がかかりますが、その費用は"うそ"を売る人の負担にならない、うまい仕組みになっています。
TV放送に乗せると、はじめは"うそ"だろうと思われても、何度も繰り返すうちに、無判定で認められるようになります。

世の中全体が浮足立つ国会議員選挙のときなどには、"うそ"がよく売れます。
公示前に名前の旗を立て、"うそ"の売れそうな町を選んで、その町に住んでいる人の喜びそうな"うそ"話を、上手に包装して売り歩く人もいます。

街角に立ったり走り回ったりしている"うそ"の売人には、だいじな票を吸い取られないよう、注意を怠ってはなりません。

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指数・係数いろいろ:28

2017年10月08日 | つぶやきの壺焼

肺炎にかかっている人に「これより重くなると命が危ないですよ」と言うか「なんでもありません、あまり激しい運動をせずに静かにしていらっしゃい、元気がいちばんですよ」と言うか、どちらが患者のためによいでしょうか。
前のことばにうそはありません。
後のことばはのっけからうそです。

うそが人の命を救う場合もあります。
一人の命だけでなく、国の命を救う場合もあるでしょう。

たった二文字の"うそ"にも、自分の立場を守るだけのうそがあります。
なかには国を売り渡すようなうそもあります。
政治をつかさどる人の虚言率は、数値にしてみても、適性の判定材料にはなりません。

平気でうそをつくのは悪い人で、真っ正直は良い人とも言い切れません。
うっかりうそと知らずに、国の代表のような顔をして謝罪のことばを述べてしまって、それが何十年ものあいだ国の重荷になることもあります。
後でうそと知らされても、真っ正直な人はおおむね意固地ですから、謝ったのが間違いだったとは一生言いません。
その人の望みは、「正直一途のりっぱなかただった」という弔辞がほしいというだけのことかもしれません。

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成長の下手な生物:30

2017年10月07日 | つぶやきの壺焼

生物は、感性情報処理から知識情報処理に向かって進化していくものとされてきました。
ところが近ごろは、知識情報処理用具であったコンピューターを、感性情報処理の用具へと逆方向に進化させることに、人びとが懸命になっています。

この逆らい方は、生物の在来の進化様式では先に希望が持てないので見切りをつけ、別の方向に踏み込みはじめたということなのでしょうか。

人間は民族によって感性の持ち方が異なります。
感性ということばにグローバルな定義がないのは、定めようがないからです。
翻訳をしても意味が少しずつ違い、人により場合によって、違う言葉になることもあります。

異民族を無理やりつなげていくには、どちらか一方がおせっかいを焼き、もう一方がそれを煙たがるという、感性の不一致を乗り越えなければなりません。
それを力ずくで片付けようとすれば、成長とは逆の方向に、みなが動き回ることになります。

人間の共同とか提携とかは、感性の一致をみなければ成り立たないでしょう。
知性や理性を基につくられる条約には、感性を盛り込むことはできません。
感性を頼りに共同・提携の機構を作りあげようとするのは、どだい無理なのかもしれません。

感性はあてにできることではなく、それのみでは信頼の対象にはなりにくいのです。
感性に訴えることばが政党名にされることもありますが、それにはすぐに対語を持ち出され、揶揄の対象にさえなります。
外交が大きな政治課題である時代に、感性を政治の世界に持ち込もうというのは、見当違いではないかと思うのですが・・・。

 

 

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指数・係数いろいろ:27

2017年10月06日 | つぶやきの壺焼

度合いにも、数値化されにくいものがあります。
知名度もその一つで、それが高いとか低いとか言っても、知っている人がどの程度いれば高いのか、どれぐらいしかいなければ低いのか、決め手がないからでしょう。
話に名前が出たとき、「エ、だれその人」という顔をする人が少なければ知名度はまあまあということになります。
数値化しにくいのは、まあまあという判定が済むということでした。

国会議員に選ばれるには、知名度がものを言います。
しかし、知名度が高ければ国会議員としてしっかり仕事をしてくれるとも限りません。

知名度はむやみに高いのに、国のことなど眼中にない人もいます。
自分の名前を知る人がどんどん増えていくことだけに精力をそそぎます。
議員の席に名札ができれば、売名が売国につながることなど一切お構いなしと思っています。
売国を取り締まる法も罰則規定もなければ、ほんとうにお構いなしでいいのでしょうか。

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成長の下手な生物:29

2017年10月05日 | つぶやきの壺焼

公職ということばがあります。
今月行われる衆議院議員総選挙は、公職選挙のうち最も大がかりなことです。

公職選挙法第三条に、『この法律において「公職」とは、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長の職をいう』と定められていても、法律が及ぶ範囲を決めているだけで、公職とはどういうことかを指し示す定義にはなっていません。

公私の別とか、公私混同などとということばから、私ごととの対義らしい、もやもやっとした意味を、多くの人が感じ取っている「公」の仕事が公職なのかという解釈しかできません。

仕事というと、メシのタネに考えが結びつきます。
公職がメシのタネであれば、公職を失えば生活が成り立たなくなるでしょう。
生活がかかっていれば、国全体のことを考えるよりも、苦労してありついた公職に一生しがみつく手だてが先ということになり、「公」の仕事とはなにかという意識などどこかへ飛び去ってしまうでしょう。

何はともあれ議席を失わないことを真っ先に考え、議員であり続けようという人に、「公」の仕事を立派にやってもらおうと思うのは、とんだ見当違いということになります。

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指数・係数いろいろ:26

2017年10月04日 | つぶやきの壺焼

聖顔ということばがあります。
ネット辞書では、天子の顔、竜顔、天顔と、言い換えのぐるぐる回りになっていますが、いずれも尊い方のお顔、尊いお顔という意味なのでしょう。

聖顔の"せい"を、"聖"から"整"に入れ替えてみると、整顔、整った顔になります。
顔の整い具合を数値にした、整顔度という指標もできそうです。

人前に顔をさらす仕事の場合には、整顔度の高いほうが有利でしょう。
そのために整形という手法もとられ、別人のようになってしまうこともあります。

国会議員の場合は、整顔度の高低と力量の大小の相関は薄いので、容姿や顔立ちで選ぶとハズレになることがあります。

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成長の下手な生物:28

2017年10月03日 | つぶやきの壺焼

感情が先に立って勘定がおぼつかなくなるのは、人間の弱みのひとつです。
その弱みに付け込んだボッタクリという商売の仕方もあります。

外国との関係でも、感情が先に立って勘定がおぼつかなくなれば、ボッタクリに遭います。


勘定の下手な人、単純な勘定しかできない人が政治の中枢に立つと、その国はボッタクリに遭います。
 

感情に訴えるしか意思表示のできない人は、選ばないほうがよさそうです。

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指数・係数いろいろ:25

2017年10月02日 | つぶやきの壺焼

危険度・危険率というあまり考えたくない言葉があります。
やってみてもうまくいかない割合とか、考えが間違っている確率など、使うところによって意味が少しずつ変わります。
元来が"逃げ"の言葉ですから、上向きの宣伝に使われることはほとんどありません。

ことがらの規模にしたがって、全体の危険度も大きくなります。
事は起こしてみたが、うまくいくかどうか、もしいかなかった場合は国民全体が大きな迷惑をこうむることになる、危険度のものすごく高いことの代表が、間もなく行われる衆議院議員総選挙です。

私たちの住む日本には、高危険度の割に当事者はのんびりしているという、おかしな空気が漂っています。
「だれがやっても同じこと」という合言葉を唱えながら、何も考えずに気を楽にしていれば、それでも暦は回っていくからです。

うまくいかないことを望む変わり者が多いのも、悲しいかな日本の文化の困った一面です。
そして、「だれがやっても同じこと」という言葉は、少しでも良くなってほしいという願いとは反対向きの、うまくいかないことを望む人々の考えに加担しているのです。

少しでも良くなってと願うならば、せめて"ペケなひと"を選ばないようにしなければなりません。
ペケの見分け方を、この20日間のうちに考えていきたいと思っています。

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