南無煩悩大菩薩

今日是好日也

快楽と叡智。

2005-06-02 | 日日是好日。

快楽の果て。

等と言う言葉を聞くと 
堕落や滅亡を連想するのは先入観の賜物であって とんでもありません。

読んで字の如く 快楽は快楽なのであります。

叡智とは本来 辛苦哀楽の何層にもわたる地層から滲み出るものでありましょう。

快辛。快苦。快哀。快楽。 
人を動機付け生の実感をまざまざと こんこんと とうとうと つむぎだす事象であります。

チベット密教では 性交を司る仏さまの数々が教えを表現します。

真の快楽は真の叡智への出発点。


だって仕方ないじゃありませんか。
快楽の誘惑ほど ひとの理性を奪い去るものはないのであるからにして。

悦楽と快楽は こりゃまた違いますんで 一緒にしないで下さい。


なんでもそうでありますが 形態や表現や見たもの感じたものが同じでも 質 が違う事がよくあります。

味噌もくそも一緒にすると 盲目的になります。

盲目的な快楽からは なにやら変なものが生まれそうです。


快楽による叡智 と。
叡智による快楽 と。

まるで螺旋階段のように絡み合う 相互の困惑。



今年はアインシュタインさんの相対性理論誕生からから100年のようです。

叡智としてこの100年我々は 相対的に時間も空間もゆがむ。という感性を得ました。


おそらく快楽。 であろうと思われる事には叡智が潜んでいる。

われわれの中の宇宙を探検するような 相対的なもの。

快楽と叡智。



・・そのとおりでんなぁ。

なにが? そのとおりなんでっか?


いや。 かいらくはエッチ。 でえられるちゅうことでっしゃろ。

あほか。あんたは。 かいらくとえいち。 じゃありませんか。


・・・えいちは・・ H ちがうんでっか?・・・・。

だめだこりゃ!



南無煩悩大菩薩。
コメント (2)
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