好転した場合の果実。
好機。その収穫は如何にすべきか。
その行動文法ソシオグラマーとはどうあるべきか。
人の成長においても、商売においても大事な一考。
オポチュニティに対してのの考察。
何事も今のまま。ということはありえない。
暗転もすれば。好転もする。
およそ。成功というものは当初からあるものではない。
誰もが好機を積み重ねつつ進む。
うまくいかない場合、つまりリスクマネジメント(暗転時の対応)に対する備えは怠らなくても、好転した時を考えての行動というものは、案外ないがしろにされやすいようだ。
身をおく環境として、オポチュニティを考えることこは、そのソシオグラマーを規定する。社会における文脈上に身をおいた選択行為とも言えようか。
つまり好機は、活動の継続の量に比例して必ず起こりうるものであり、活かすも殺すも、それまでの行為の先見性に帰着すると思うのである。
・・・・・。
ややこしい言い回しは止めにして。
平たく申しますとですな。
成長しようと決めたのならですよ。
もし。成功させたいと本当に思っているのならでですよ。
うまくいかなかった時のことをですね。
最初から考えちゃあダメだと思うわけですよ。
必ずうまくいくのですから、そのときにどうしようかと、考えを遊ばすほうがですね。
その時。が来やすいし、来たときにちゃんと大きな果実が転がり込んでくるのではありませんか?
そう思うわけです。
けちな了見でですよ。ものごとに行為すれば、成るものも成らなくなるのじゃないかと。
まあ。そう自分に言い聞かせているわけなのであります。
幸運の女神ははたぶん。純粋に前を向いてる人に惚れやすい。