以前から鬼瓦を撮っていて思うことは、いくつかの趣の系統に分類されるのではないかということだ。
とにかく力強い系統。睨みつけながらもどこか愛嬌のある系統。まるみのある優雅な系統。というぐあいに。
断言は出来ないが、鬼瓦職人の出自や窯の土着性や、産出風土、作製年代かなにかによって、流派とでも呼べるものがあるようだ。
鬼瓦に限らず、人は何事においても類推の感性をもともと備えているようだ。
その類(たぐい)のものを纏め上げ、違う類との相違点や相似点を基準に分割管理することで、それそのものがどの類に当てはまるか当てはまらないかを推理する。
認知・識別能力とも密接にかかわりを持つであろうこのような能力が、どのようなメカニズムで出来上がるのか不思議なことである。
そういえば。
「そんなの関係ねぇ」と「あっしには係わり合いのねぇことでござんす」と。
時代を超えてリバイバルした、はやり言葉の映す時代性には、どのような類推が成り立ち得るのだろうか。