意識的に境界を創り、可視化する事で、違った世界への想いを促すなにものかを結界と呼ぶ。
言葉通りなら結ぶ境界である。
立ち入り禁止の青竹の結界等は、入ってはいけない領域界であると同時に、入る事の難しい領域に、結びの境があることを示しているものといえよう。
物理的にいえば、我々は普段から、その気になれば立ち入る事の出来ない場所はない。
しかし、どうも、物理的な経験のみにおいて、精神的な満足が得られるわけでもない。ということを私達はよく知っている。
そこに、生まれるのが結界という、キーワードになっているかもしれない。
入り込めない仲。入り込めない感覚。入り込めないブラブラブラ。
入ったとしても、出たとしても、そこに何の意味も認識も見出せないのでは、その境を越えたことにはならない。
結界という境目は、心の結ばれる境界線を、自らで設定するものであろう。
空気が読めない。とは、そういうことを言うのではなかろうか。
簡単には超えられない認識の結び目ほど、すぐに超えられそうな簡素で優しい姿をしている。