南無煩悩大菩薩

今日是好日也

福徳の風俗。

2011-10-08 | 意匠芸術美術音楽
(達磨図/中原南天棒禅師)

人間、長くみれば、朝(あした/未来)を知らず、短くおもえば、夕(ゆうべ/過去)におどろく。

されば、天地は万物の逆旅(げきりょ)。

光陰は百代の過客、浮世(ふせい)は夢幻(ゆめまぼろし)といふ。

時の間の煙、死すれば何ぞ、金銀も瓦石(いしかわらげ)もおなじこと、黄泉(こうせん)の用には立ちがたし(あの世に行く役には立たず)。

然りといえども、残して、子孫のためともならぬ。

ひそかに思うに、世にあるほどの願い、何によらず、金銀にて叶わざる事、雨が下(天下)に五つ(地水火風空の五輪よりなる肉体生命)有。

それより他はなかりき。

是にましたる宝船の有るべきや。

見ぬ嶋の鬼の持ちし、隠れ笠、隠れ蓑も、暴雨(にわかあめ)の役に立たねば、手遠き願いを捨てて、近道に、それそれの家職を励むべし。

福徳は、其の身の堅固に有。

朝夕、油断する事なかれ。殊更、世の仁義を本として、神仏をまつるべし。

是、和国の風俗なり。

-井原西鶴「日本永代蔵」より-
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