(和気清麿奏神教図/佐久間文吾作)
「おそれながら申し上げたてまつります」
人物描写を通じて、言葉のみならず、状況の度合感、空気の緊緩の程度感までが伝わってくるようだ。
人のなり、ふり、いきづかい、から私たちは様々な情報を入手することはできる。
だが、その本質を捕まえかつ表現するには並大抵の洞察力では無理だ。
描ける。ということは、同時に見抜いている。ということであり、見抜く眼力なくして描き切れるものでもなかろう。
老子は、言者は知らず、知者は言わず。と云ったが、さながら芸術は知っていることをすべて言ってしまう仕掛けかも知れない。
芸術品のあれこれを見ることは、人間というものの多様性と潜在能力の深い淵の一端に触れることができる貴重な体験だと、つくづく思う。
「おそれながら申し上げたてまつります」
人物描写を通じて、言葉のみならず、状況の度合感、空気の緊緩の程度感までが伝わってくるようだ。
人のなり、ふり、いきづかい、から私たちは様々な情報を入手することはできる。
だが、その本質を捕まえかつ表現するには並大抵の洞察力では無理だ。
描ける。ということは、同時に見抜いている。ということであり、見抜く眼力なくして描き切れるものでもなかろう。
老子は、言者は知らず、知者は言わず。と云ったが、さながら芸術は知っていることをすべて言ってしまう仕掛けかも知れない。
芸術品のあれこれを見ることは、人間というものの多様性と潜在能力の深い淵の一端に触れることができる貴重な体験だと、つくづく思う。