(GIF/source)
小雨降る裏通り、私が蕎麦か饂飩かを考えているという世界にいるとき、
同時並行で表通りを行きかう人たちにもそれぞれ何かを考えているそれぞれの世界がある。
私が蕎麦か饂飩かで悩んでいるとはツユ知らず、表を行きかいすれ違う人たちはすれ違い行きかうだけである。
私が決心し蕎麦か饂飩を頼めば、店の人は私の世界に参加してくれるが、それさえ、店の人たち自身で自分の世界を生きるに過ぎない。
店の人に「蕎麦と饂飩どっちを私は食べたいか?」なんて聞くのは当事者意識の欠如だし、「蕎麦屋か饂飩屋かどちらかにしてくれ」なんて指図するのは傲慢だし不遜になる。
はて、
私が産まれて私の世界は始まった、たぶん私が死ねばこの世界はなくなる。ただそれだけなのだろう。
蕎麦か饂飩かを迷うことなく、前の人と同じものを選択したとしても、やはり自分の世界を生きることになるのだ。
いや、やはり迷うぐらいだからどっちでもいいのだろうし、ところで金もないのだからここは立ち去ってもいいようにも思う。
それよりもよくよく考えてみると、立ち去るにしても傘がないのが気にかかる。
小雨降る裏通り、私が蕎麦か饂飩かを考えているという世界にいるとき、
同時並行で表通りを行きかう人たちにもそれぞれ何かを考えているそれぞれの世界がある。
私が蕎麦か饂飩かで悩んでいるとはツユ知らず、表を行きかいすれ違う人たちはすれ違い行きかうだけである。
私が決心し蕎麦か饂飩を頼めば、店の人は私の世界に参加してくれるが、それさえ、店の人たち自身で自分の世界を生きるに過ぎない。
店の人に「蕎麦と饂飩どっちを私は食べたいか?」なんて聞くのは当事者意識の欠如だし、「蕎麦屋か饂飩屋かどちらかにしてくれ」なんて指図するのは傲慢だし不遜になる。
はて、
私が産まれて私の世界は始まった、たぶん私が死ねばこの世界はなくなる。ただそれだけなのだろう。
蕎麦か饂飩かを迷うことなく、前の人と同じものを選択したとしても、やはり自分の世界を生きることになるのだ。
いや、やはり迷うぐらいだからどっちでもいいのだろうし、ところで金もないのだからここは立ち去ってもいいようにも思う。
それよりもよくよく考えてみると、立ち去るにしても傘がないのが気にかかる。