(gif/source)
整合性があり、機能とふるまいが噛み合っているように見えるシステムには、何らかの「本質」が存在していて、中央制御の要素が総責任者をしているに違いない。
私たちはそう考えるのが習い性になっている。私たちは抜きがたい本質主義者だ。左脳がそれを物語っている。
それに君が指摘するように、私たちは見つからないものをこしらえた。名前はホムンクルスだったり、精神、魂、遺伝子だったりといろいろだが、普通の還元主義的な意味ではめったに存在しないものだ・・・・。
総責任者である「本質」なるものは、不在というわけではなく、分散しているのだ。それはプロトコル、規則、アルゴリズム、ソフトウェアの中にある。細胞もアリ塚も、インターネット、軍隊、脳もみんなそうやって機能している。どこかの箱にはいっているわけではないから、想像するのは難しい。
もっとも、そんな箱があったらそれが単一障害点となるので、設計としては失敗だ。
重要なのは「本質」はモジュールではなく、モジュールが従わなければならない規則にあるということだ。
-切抜/「ジョン・ドイルよりマイケル・S・ガザニカへの書簡」より-
整合性があり、機能とふるまいが噛み合っているように見えるシステムには、何らかの「本質」が存在していて、中央制御の要素が総責任者をしているに違いない。
私たちはそう考えるのが習い性になっている。私たちは抜きがたい本質主義者だ。左脳がそれを物語っている。
それに君が指摘するように、私たちは見つからないものをこしらえた。名前はホムンクルスだったり、精神、魂、遺伝子だったりといろいろだが、普通の還元主義的な意味ではめったに存在しないものだ・・・・。
総責任者である「本質」なるものは、不在というわけではなく、分散しているのだ。それはプロトコル、規則、アルゴリズム、ソフトウェアの中にある。細胞もアリ塚も、インターネット、軍隊、脳もみんなそうやって機能している。どこかの箱にはいっているわけではないから、想像するのは難しい。
もっとも、そんな箱があったらそれが単一障害点となるので、設計としては失敗だ。
重要なのは「本質」はモジュールではなく、モジュールが従わなければならない規則にあるということだ。
-切抜/「ジョン・ドイルよりマイケル・S・ガザニカへの書簡」より-