(source/stay positive)
いわゆる頭のいい人は、謂わば足の速い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない処へ行き着くこともできる代わりに、途中の道端あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人や足ののろい人はずっとあとから遅れてきてわけもなくその大事な宝物を拾っていく場合がある。
頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡せる。少なくとも自分でそういう気がする。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けていく。どうにも抜けられない難関というのは極めて稀だからである。
頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめに決まっているような試みを、一生懸命に続けている。やっと、それがだめだとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。そうしてそれは、そのはじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のないような糸口である場合も少なくない。自然は書卓の前で手をつかねて空中に絵を描いている人からは逃げ出して、自然の真ん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉を開いて見せるからである。
頭のいい人には他人の仕事のあらが目につきやすい。その結果として自然に他人のすることが愚かに見え従って自分が誰よりも賢いというような錯覚に陥りやすい。そうなると自然の結果として自分の向上心にゆるみが出て、その人の進歩が止まってしまう。頭の悪い人には他人の仕事がたいていみんな立派に見えると同時にまた偉い人の仕事でも自分にもできそうな気がするのでおのずから自分の向上心を刺激されるということもあるのである。
-寺田寅彦「鉄塔」より
いわゆる頭のいい人は、謂わば足の速い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない処へ行き着くこともできる代わりに、途中の道端あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人や足ののろい人はずっとあとから遅れてきてわけもなくその大事な宝物を拾っていく場合がある。
頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡せる。少なくとも自分でそういう気がする。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けていく。どうにも抜けられない難関というのは極めて稀だからである。
頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめに決まっているような試みを、一生懸命に続けている。やっと、それがだめだとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。そうしてそれは、そのはじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のないような糸口である場合も少なくない。自然は書卓の前で手をつかねて空中に絵を描いている人からは逃げ出して、自然の真ん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉を開いて見せるからである。
頭のいい人には他人の仕事のあらが目につきやすい。その結果として自然に他人のすることが愚かに見え従って自分が誰よりも賢いというような錯覚に陥りやすい。そうなると自然の結果として自分の向上心にゆるみが出て、その人の進歩が止まってしまう。頭の悪い人には他人の仕事がたいていみんな立派に見えると同時にまた偉い人の仕事でも自分にもできそうな気がするのでおのずから自分の向上心を刺激されるということもあるのである。
-寺田寅彦「鉄塔」より