南無煩悩大菩薩

今日是好日也

痛みの経験

2018-10-11 | 世界の写窓から
(picture/source)

ちょくちょく天国へも遊びにいくという新興宗教団体の男の教祖さんはある雑誌のインタビューで、「次に生まれ変わったとき、女性だったらどうしようかと時々考えますよ。出産するときは怖いなとか、今から心配しています」とコメントしている。

それはどうでもいいが、ある女性が生理痛の激痛を大丈夫か?と尋ねられて、こんな受け答えをした。「この痛みも私の一部なんです」。

咽喉が風邪にやられるとやたらと痛いし痰がでる。それは細菌かウィルスかはわからないがそれらと戦った我が内なる免役細胞たちの討死、つまり戦士たちの奮闘とその死骸だともいえる。

というようなことをどこかで聞いた。

これを持って私は、痛みには天国と地獄が二項対照的に存在しているということだと云う考えに至る。

胃が健康な時には胃の存在を忘れて呑み呆けるように、痛みがあることで胃という存在とその有難さに思い至り感謝したりもする。

我ながらバカじゃないかと思いながらも、どこかが痛いときに、治るかどうかは別にしてこれは直そうとしているのだ、がんばれ私の痛み、と納得すれば痛いけれど苦痛ではなくなるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする