(art/Conversation With Jackson Pollock No.37)
もしジャクソン・ポロックの絵がジクソー・パズルになったら、かなり難しい・・。
-それは完成図のないジグソーパズルを組み立てるように起こる-
ピースを組み立てるという事自体は同じなのですが、そのピースには絵が描かれていない、もしくは何か描いてあっても、完成図も全体像についても何もわからないパズル。そういうジグソーパズルを組み立てる羽目になったら我々はどうするでしょうか?
想像してみてください。なにしろ我々は、そのパズルのピースの一個一個を手に取ってみても、それが相対的にどこに位置するべきなのか、それは全体の中でどのような役割を担っているピースなのかといったことを、少なくとも最初は、なにもわかっていません。ですからそのパズルを組み立てようにも、どのようにして組み立てていったらいいのか、皆目見当がつきません。やり方が最初から与えられているわけではないのです。
やはり最初はとりあえず、手当たり次第、機械的にピースとピースを試してみて、ピタリとはまるピースのペアを数多く見つけることから始めるしかありません。これはとても効率の悪い方法ですし、とても長い時間をかけてじっくり取り組まなければなりません。最初は全く進展がないかもしれません。でも、粘り強く続けるうちに、ピッタリはまるピースのペアがいくつか得られるようになるでしょう。
小さな発見を、時間をかけて数多く見つけるわけです。そういう地味な試行錯誤を何度も何度も繰り返していくうちに、次第とピタリとはまるピースの数が増えていきます。そして、それがだんだんと進んでいくと、いくつかのピースがはまりあった「島」が出来上がってきます。
この「島」はいくつか同時に作られながらも、当初はお互いあまり関係ないもののようにみえます。しかし、あるとき、二つの島をつなぐピースが見つかります。つまり一見関係のない分野を橋渡しするピースというのが見つかるわけです。そして、それまで別々だった島が、一つの大きな島になる。
これが時折みられること、つまり複数の分野をつなぐブレイクスルーが見つかるということです。こうして次第に大きく、そしてしだいに統一の度合いを高めていきながら一歩一歩進歩していくというわけです。
-フレンケルの喩え-参照/加藤文元「宇宙と宇宙をつなぐ数学」より、-
John Cage - Dream (1948)
もしジャクソン・ポロックの絵がジクソー・パズルになったら、かなり難しい・・。
-それは完成図のないジグソーパズルを組み立てるように起こる-
ピースを組み立てるという事自体は同じなのですが、そのピースには絵が描かれていない、もしくは何か描いてあっても、完成図も全体像についても何もわからないパズル。そういうジグソーパズルを組み立てる羽目になったら我々はどうするでしょうか?
想像してみてください。なにしろ我々は、そのパズルのピースの一個一個を手に取ってみても、それが相対的にどこに位置するべきなのか、それは全体の中でどのような役割を担っているピースなのかといったことを、少なくとも最初は、なにもわかっていません。ですからそのパズルを組み立てようにも、どのようにして組み立てていったらいいのか、皆目見当がつきません。やり方が最初から与えられているわけではないのです。
やはり最初はとりあえず、手当たり次第、機械的にピースとピースを試してみて、ピタリとはまるピースのペアを数多く見つけることから始めるしかありません。これはとても効率の悪い方法ですし、とても長い時間をかけてじっくり取り組まなければなりません。最初は全く進展がないかもしれません。でも、粘り強く続けるうちに、ピッタリはまるピースのペアがいくつか得られるようになるでしょう。
小さな発見を、時間をかけて数多く見つけるわけです。そういう地味な試行錯誤を何度も何度も繰り返していくうちに、次第とピタリとはまるピースの数が増えていきます。そして、それがだんだんと進んでいくと、いくつかのピースがはまりあった「島」が出来上がってきます。
この「島」はいくつか同時に作られながらも、当初はお互いあまり関係ないもののようにみえます。しかし、あるとき、二つの島をつなぐピースが見つかります。つまり一見関係のない分野を橋渡しするピースというのが見つかるわけです。そして、それまで別々だった島が、一つの大きな島になる。
これが時折みられること、つまり複数の分野をつなぐブレイクスルーが見つかるということです。こうして次第に大きく、そしてしだいに統一の度合いを高めていきながら一歩一歩進歩していくというわけです。
-フレンケルの喩え-参照/加藤文元「宇宙と宇宙をつなぐ数学」より、-
John Cage - Dream (1948)