南無煩悩大菩薩

今日是好日也

だいたいおなじ

2019-09-14 | 酔唄抄。
(gif/source)

無理やり健康診断に行かされるはめになった。

まわりが心配してくれているのはわかるし、ありがたいことである。が、その善意のごときものを素直に受け入れられないのである。

今死なれたら迷惑やから行きなさい。そんな気もしないではないのである。

ともあれ「悪い」所を見つけに行く行為である。「良い」ではなく「今は問題ない」かどうかの診断である。

「ここが素晴らしい」「あなたは間違いなく死ぬまで生きる、安心しなさい」なんてほめてくれることのない所業である。

そもそも病気についていくら調べても健康についてのことはわからないではないか。

人は言う、行ってみてなんもなかったら安心だろう。・・何が安心だ、老いを実感しているこの身が何もないのなら、これ幸い齢を忘れのぼせあがってより不良になるだけではないか。

またもし、何かがあったら小心者の不安を煽り、まわりから酒をやめだの好きなものを喰うなだの、心配という錦の御旗に制約を課されるだけではないか。

どっちにしても心穏やかならず。そんなところに誰が進んでいきたいものか。

忌憚なく、嗚呼うまい、と酒が飲めて、ほっこりと煙草を燻らせる、そんな楽しみ、そんな人知れぬ健康法に横槍が入りかねなく、たって危険極まりない所業である。

とはいうものの、ただ、しかし、人がまわりとうまくやっていく必要性に関しての異論はもちろんない、なのでここが先途と思い定め行くつもりではある。

もののしかし、もののあはれ、確固として思うのは、

間に合えば間に合うし、間に合わねば間に合わぬものである。
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