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私が何かを見ている、その私を見る視点があれば、見えているものと見ているものの違い、大小善悪出処進退の塩梅がわかるというものである。
そういうふうにものことをおもっている間(ま)に待てば、いつしかそれが言行一致への余裕なるかもしれない。
つまりある対象、たとえば君と言うものに対処している自分を観ることのできる自分というものを鳥瞰視することができたら、もうちょい身の施しようが上手くなるかもしれない。
ところが、ただ、それが正解というのは、まったくもって見当違いなのである。
坂本冬美 - また君に恋してる
私が何かを見ている、その私を見る視点があれば、見えているものと見ているものの違い、大小善悪出処進退の塩梅がわかるというものである。
そういうふうにものことをおもっている間(ま)に待てば、いつしかそれが言行一致への余裕なるかもしれない。
つまりある対象、たとえば君と言うものに対処している自分を観ることのできる自分というものを鳥瞰視することができたら、もうちょい身の施しようが上手くなるかもしれない。
ところが、ただ、それが正解というのは、まったくもって見当違いなのである。
坂本冬美 - また君に恋してる